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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)125号 判決 1988年9月14日

原告

川崎初男

右訴訟代理人弁護士

神矢三郎

被告

社会保険庁長官吉原健二

右指定代理人

水野秋一

中沢康裕

小木津敏也

高原富一

平岩一幸

中尾信一

星重美

林道雄

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告が原告に対し、昭和五六年一月一九日付でなした船員保険法による職務外の事由による障害年金支給処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五一年一〇月二〇日に港湾に関する諸設備、営造物の建設等を業とする興生建設株式会社(以下「興生建設」という。)に船員として雇用され、同日船員保険の被保険者となり、同社所有の船舶に乗り込み、建設作業に従事していたが、昭和五二年五月一二日に興生建設が所有する第二五住栄丸(三八七・六七トン)に乗船し、秋田県男鹿市船川港において、興生建設が株式会社清水組から請け負っていた日本鉱業株式会社船川精油所の建設計画に伴う消波工事の作業に従事中、狭心症(以下「本件疾病」という。)が発症した。

2  原告は、本件疾病に起因する障害(以下「本件障害」という。)により、昭和五五年五月三一日に被告に対し、船員保険法に基づき、職務上の事由による障害年金の裁定を請求したところ、被告は昭和五六年一月一九日本件疾病は職務上の事由によるものとは認められないとして、職務外の事由による障害年金を支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

そこで、原告は、昭和五六年三月九日右処分を不服として大阪府社会保険審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は昭和五七年二月二六日右審査請求を棄却する決定をしたので、原告は同年四月二日社会保険審査会に対し再審査請求をしたところ、同審査会は昭和五九年八月三一日再審査請求を棄却する裁決をした。

3  しかしながら、本件疾病は後記のとおり職務との間に相当因果関係があり、本件障害は右疾病に基づくものであるから、職務上の事由による障害年金が支給されるべきものである。したがって被告の本件処分は違法である。

(一) 興生建設の業務

原告が当時勤務していた興生建設は、株式会社清水組が西松建設株式会社外二社から請負った日本鉱業株式会社船川精油所の造設計画に伴う埋立工事の内、埋立地の周囲への玉石投入及びテトラポッド据付け等の消波工事を請負い、昭和五二年三、四月は第一興生丸により、同年五月は第二五住栄丸により右工事を行っていた。その工事内容は前記船川精油所のテトラポッド積込みヤード内のテトラポッドにワイヤーをかけ、これを船に搭載してあるクレーンで船に積みこんだうえ南平沢沖の埋立造成護岸消波工事現場に運び、テトラポッドを前記クレーンで海中に層積みにして据え付けたり、玉石を右クレーンに取り付けたバケットにより、バケットで掴み切れない玉石は手作業により、海底に投入する等のものであった。クレーンによる海中据付け作業は、潜水夫の指示により一〇センチメートルの誤差も生じないようにして行うものであり、テトラポッド海中据付け作業は夜間や波が荒い場合は原則として行われなかった。

なお、興生建設は他にも作業を請負っており、第一興生丸の担当個所は船川港のみでなく青森県西津軽郡鰺ケ沢町所在の鰺ケ沢港、秋田県能代市所在の能代港、秋田市所在の土崎港をも含み、右各港間の移動は夜間に行われていた。

(二) 原告の勤務状況

原告は、昭和五二年三月初旬から興生建設の現場主任として秋田県方面に派遣され、三、四月は第一興生丸に、五月は第二五住栄丸に乗船し、玉石投入、テトラポッド据付け等の消波工事に従事するとともに、作業準備、整理作業、元請会社との交渉など現場作業に付随する業務に従事していたが、現場作業は日の出から日没まで続き、昼食は各人交代ですませ、休憩時間も皆無という形態でなされ、しかも右作業は東北地方の早春に行われたものでそれ自体相当劣悪な労働環境の下に行われていただけでなく、前記のように第一興生丸乗船中は同船の移動が夜間に行われたため昼夜兼行の労働が続いた。のみならず第一興生丸の船長植田又一が昭和五二年三月二八日から五月末頃まで娘の病気看護で下船したため、原告は、興生建設から第一興生丸の船長の職務代行を命ぜられ、操船、作業の進捗、作業結果についても責任を負うことになり、しかも興生建設が前記消波工事等につき元請会社に対し二隻の船を用いて作業をすることを約しておきながら、そのうちの一隻である第二五住栄丸の現場到着が二か月も遅れて五月になり、かつ天候不順等により工事の進捗が大幅に遅れたため、原告は一方で元請会社に対し作業遅滞の弁明をし、他方で船員を督励して突貫工事を強行させる立場にあり、そのため、毎日、社船作業開始一時間以上前に起きて作業現場に向かい、港内外の天候状態を確認した後、社船に帰り作業開始を伝え、その後、船員として職務を遂行し、作業終了後も陸上の事務所において今後の作業の打合せ、また上司との付合い等があり、工事現場主任と船員とをかけもったために休養時間が充分でなく、睡眠時間は平均三、四時間であってその地位、責任の重さから心労が絶えなかった。

右のような勤務条件の下で、原告は昭和五二年五月一二日、第二五住栄丸に船員として乗船し、四〇キログラムもの玉石を持ち上げて船上から海中に投棄する作業に従事していた際、突然胸痛発作を起こし、本件疾病が発症した。

(三) 原告の健康状態

原告は、本件疾病に至るまで極めて健康であって既往症はなく、昭和五二年五月一二日の狭心症による胸痛発作に至るまで胸痛、絞扼感等を覚えたことはなかった。

(四) 職務上の事由の存在

右に述べたとおり、原告は前記の二か月間に亘る過激な労働による肉体的精神的疲労によって作業従事中、本件疾病が発症したものである。仮に、原告に冠状動脈硬化症等の既往症があったとしても、相当因果関係の有無は社会通念に基づいて判断されるもので、職務と疾病との間に単なる条件関係があるだけでは足りないが、職務が疾病の唯一又は最有力の原因である必要はないから、職務が当該疾病について相対的に有力な原因となっていれば、両者間に相当因果関係が認められるものといわなければならないところ、原告の狭心症については、前記二か月間に亘る肉体的精神的疲労が重要な誘因となっており、職務はなお相対的に有力な原因となっていたのであるから、職務と本件疾病との間には相当因果関係があり、本件疾病は職務上の事由に基づくものである。

4  以上のとおり、本件疾病したがって本件障害は職務上の事由によるものであることが明らかであり、被告の本件処分は違法なものである。よって、原告は被告に対し、右処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実はいずれも認める。

2  同3の冒頭の主張は争う。

(一) 同3(一)の事実のうち第一興生丸が原告主張の各港を移動したのが夜間であったとの事実は否認し、その余の事実は認める。

原告主張のようにクレーンによる海中据付け作業は、潜水夫の指示により一〇センチメートルの誤差も生じないようにして行うものであり、危険を伴う夜間及び波が荒い悪天候時は原則として行われず、したがって気候の安定している夏季においても、この種の作業が月のうち二〇日に及ぶことはまずなかった。また、工事現場における作業船の稼働率は、四、五月については三〇ないし四〇パーセント程度であるうえ、テトラポッドを船に積み込んで工事現場に行き、海中に降ろし据え付けて港に帰る作業を一航海として、一日の航海数は二ないし三航海程度であった。

(二) 同3(二)の事実のうち原告が昭和五二年三月初旬から秋田県方面に派遣され、同年三、四月は第一興生丸に、同年五月には第二五住栄丸に乗り組んでいたこと、原告が同月一二日に第二五住栄丸に船員として乗船して作業従事中に胸痛発作を起こし狭心症を発症したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、本件工事現場において元請けの株式会社清水組と興生建設との連絡係を担当し、その職務内容は、作業当日の埋立て現場の波の状況等を第一興生丸又は第二五住栄丸の船長へ連絡すること、朝のミーティングにおける作業手順等についての打合せ並びに元請けに対する作業報告等のほか、バケットによる玉石投入後甲板に残存した土砂を除去する作業などであり、これらの職務は、作業の進捗、作業結果等について何ら責任を伴うものではなかった。

また、本件疾病は、原告が前記職務のうち甲板上の土砂清掃作業中に生じたものであるが、本件疾病の発作に至る前一週間の就労状況は、拘束時間の平均こそ一〇時間一五分程度に及んでいるものの、長時間に亘る待機時間がそのままこれに含まれているほか、この間に適宜休憩、食事等もとっていたものである。しかも、右一週間のうち二日間は悪天候のためテトラポッドの据付け工事ができず、船内作業をしていたものであるから、右の期間における原告の負担は決して過重なものではない。

また、原告は、諸港を夜間に移動するので昼夜兼行の労働が続いた旨主張するが、原告の乗船していた作業船は工事用船舶で、航海能力の面では通常の船舶より劣るため、夜間狭いところを航行するのには不向きであり、夜間に移動をするのが常態であったとはいえない。仮に、移動がすべて夜間であったとしても、毎日移動していたわけではなく、ある程度の間隔をおいて移動していたものであり、その回数は、一か月に四ないし五回程度であった。そして、原告は第一興生丸又は第二五住栄丸の操船を担当する資格がないから、移動に要する時間はほとんどが休憩のできる時間であった。

(三) 同3(三)の事実は否認する。

(四) 同3(四)の事実及び主張は争う。

障害を発生させることとなった疾病等が職務上の事由によるものと認定されるためには、一般的に、障害を発生させることとなった疾病等が職務遂行中に発生したものであること(職務遂行性)及び当該疾病等と職務との間に相当因果関係が存すること(職務起因性)が必要である。そこで、職務起因性についてみると、原告の従事していた連絡係の業務内容が原告の心身両面において何ら激務といえるものではないことはもちろん、原告が右胸痛発作を発症した当時従事していた作業についても、搭載クレーン等による処理後甲板上に残された土砂を多勢で清掃していたというものであり、時間的にも態様としても特に激務とはいえないものである。また、狭心症は、心臓部特に胸骨下部の疼痛発作を主徴とする症候群で、冠状動脈の硬化による狭窄によって起こる心筋の虚血が発作の原因となるものであるところ、原告の本件疾病は、胸痛発作が船中での土砂清掃作業中であること、以前にも二回ほど痛みを感じ、すぐ軽快したものであるが、原告はこれを心臓発作であると考えていたことなどからすると、労作により狭心痛の発生する労作狭心症と呼ばれるものであることは明らかであり、原告が昭和五三年八月に神戸市立中央病院に入院していた当時左冠状動脈前下行枝第一対角枝付近に九〇パーセントの狭窄が認められており、冠状動脈硬化が長期間に亘り徐々に進行し、一定の段階に至って初めて胸痛発作として発症するものであることからすれば、昭和五二年五月一二日の狭心症発症時には冠状動脈硬化が相当程度進行し、冠状動脈狭窄もあったものと考えられる。したがって、当時原告は、既に狭心症発作を起しやすい身体状況に陥っており、かかる状況下において、たまたま日常業務である前記作業中に発作が発生したものであって、原告の本件疾病の発症と同人の従事した職務との間に相当因果関係が存在しないことは明らかであり、職務起因性は認められない。

3  同4の主張は争う。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1及び2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  請求原因3の本件処分の違法性について判断する。

1  船員保険法四〇条に規定する障害年金は、障害を発生させることとなった疾病又は負傷が職務上の事由によるものと職務外の事由によるものとによって支給金額等が異なり、その疾病又は負傷が職務上の事由によるものとして障害年金が支給されるためには、職務と障害を発生させることとなった疾病又は負傷との間に相当因果関係が存すること(職務起因性)を要するものと解される。

2  原告が昭和五二年五月一二日に第二五住栄丸に船員として乗船し、日本鉱業株式会社船川精油所の建設計画に伴う消波工事の作業に従事中に胸痛発作を起こし狭心症が発症したことは当事者間に争いがない。

3  そこで本件疾病と職務との間に相当因果関係を認めることができるか否かについて検討する。

(一)  (証拠略)によると、狭心症とは、一過性の心筋虚血のために生ずる胸部不快感を主症状とする臨床症候群であり、運動負荷や精神興奮で誘発される労作狭心症と安静時に起こる安静狭心症とに大きく分けられること、そのうち、労作狭心症の症状は、突然前胸部に絞扼痛あるいは名状し難い不快感、圧迫感が数分間続くというもので、その発症は冠状動脈の硬化等冠血流量の減少をきたす基礎疾患がある場合にこれをさらに減少させる要因例えば冠状動脈の攣縮、血圧の変化、心不全、運動負荷等が加わった場合に起りやすいものとされること、そしてその基礎疾患としては冠状動脈のアテローム硬化が最も多く、他に大動脈弁硬化による冠状動脈口狭窄等があるが、右のうち動脈硬化を促進する因子としては高脂肪食、加齢、高血圧、喫煙等があること、なお労作狭心症を誘発する労作即ち誘因としては、歩行、階段の昇降、重量物の運搬、過食、精神興奮、喫煙等があると認められ、右認定に反する証拠はない。

そして右認定事実によれば、前記のとおり作業に従事中に発症した原告の狭心症は労作狭心症であると認められる。

(二)  そこで本件疾病の原因である基礎疾患について検討する。

成立につき当事者間に争いのない(証拠略)によれば、原告は本件疾病後直ちに男鹿市内で吉川医師の診察を受け急性心不全と診断され、翌一三日秋田組合総合病院で医師の診察をうけ狭心症の疑いがある旨診断され、昭和五二年七月一二日神戸市立中央市民病院で診察の結果狭心症と診断され、同年九月同病院で冠状動脈造影による検査を受けたところ、左前下行枝に二五パーセント程度の狭窄が認められ、昭和五三年九月右病院で同様の検査を受けたところ、左冠状動脈前下行枝第一対角枝付近に九〇パーセントの強度の狭窄が認められたこと、しかも右状態は手術を要する程度に達していたため、同年一〇月二四日にAICバイパス手術を受けたが、その際触診により、冠状動脈のうち、右冠状動脈は全体に固さが感ぜられたが限局性の病変はなく、左前下行枝は対角枝分枝直後に硬化病巣に触れ、回施枝にも数個の硬化病巣を認める旨診断されていること、以上の事実が認められる。

そしてまた前掲(証拠略)によれば、原告が秋田組合総合病院で前記診察を受けた際、原告は担当医師に対し、約一か月前から歩行時又は作業時に胸部に絞扼痛、圧迫感ないし不快感が出現し、休むことにより軽快していたこと及び右同様の症状が五月一二日に出現した旨告げていること、また同年七月一二日神戸市立中央市民病院で診察を受けた際原告は担当医師に対し、同年四月初旬自転車に乗車中左前胸部に絞扼痛を感じ、右痛みが約一〇分間位継続したこと、以来週平均一日、一回ないし数回に亘り作業中に同様の症状が発生した旨告げていることが認められる。(証拠略)原告本人尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する部分は措信しない。

しかして、右各事実によると、原告の本件疾病は冠状動脈の硬化、狭窄を基礎疾患とするものであり、また原告は昭和五二年四月初旬以降本件疾病に至るまでの間既に数回に亘り右基礎疾患に基づく狭心症を発症しており、しかも右発症は歩行、自転車による進行等かなり軽度な労作を誘因として出現している事実が認められ、これに冠状動脈硬化症が通常加齢とともに徐々に進行する疾病である事実を併せ考えると、原告の狭心症の基礎疾患である冠状動脈硬化症は本件疾病発症以前から既に相当進行増悪していたものといわなければならない。

(三)  そこで右のように基礎疾患を有する者が狭心症を発症した場合、その狭心症について職務起因性を認めるためには、職務に起因する過度の精神的、肉体的負担が他の要因及び基礎疾患の自然的進行より以上に、その者の既に有する基礎疾患を急速に増悪させ、その結果、狭心症の発症を出現させたものであること、即ち職務の遂行が当該疾病に対して相対的に有力な原因になっていたことが認められなければならない。そこで原告の当時の職務内容、勤務状況、健康状態等について検討する。

(1) 本件工事内容

昭和五二年五月当時、興生建設は秋田県男鹿市船川港において、株式会社清水組から、日本鉱業株式会社鉛川精油所の建設計画に伴う埋立造成護岸消波工事を請け負っていたこと、その工事内容は、右船川精油所においてテトラポッド等をクレーンで船舶に積み込み、工事現場において右テトラポッド等をクレーンで海中に降ろして据え付けたり、玉石を搭載クレーンに取り付けたバケットで海中に投入するものであったこと、搭載クレーンでテトラポッド等を降ろす作業の指示は、普通は船長が行い、精度の高い据付け作業であれば元請け技術者が行っていたが、テトラポッド等の海中据付け作業は潜水夫の指示によって正確に行われるもので、夜間や天候の悪いときは原則として行われなかったこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件現場における作業状況が前記のようなものであったため、工事現場における作業船の稼働率は、二、三月で二〇パーセント、四月で三〇ないし四〇パーセント、五月で四〇パーセント、六月中旬から八月中旬までは五〇ないし七〇パーセントであり、また、テトラポッドを船に積み込んで工事現場に行き、海中に降ろし据え付けて港に帰る作業を一航海として、五月初旬ころは、一日の航海数は二航海が普通であり、多くて三航海程度であったことが認められる。(証拠略)及び原告本人尋問の結果(第一、二回)中、右認定に反する部分は措信しない。

(2) 原告の職務内容と勤務状況

原告が昭和五二年三月初旬ころ、現場主任兼船員として秋田県方面に派遣され、同年三、四月は第一興生丸に、同年五月には第二五住栄丸に乗り組んで前記工事に伴う作業にあたっていたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件工事の責任者である興生建設船舶部長山本則幸の指導下において、元請けである株式会社清水組と興生建設との間の連絡を主たる職務としており、そのほかに繋船作業、玉掛け作業の手伝いやテトラポッドの据付けの指示、搭載クレーンのバケットによる玉石投入後の甲板に残った土砂を除去する作業等をも行っていたが、時間的には船舶の上で作業をしているほうが長かったこと、現場作業は、天気の良い日には四時過ぎころ起床し、五時ないし五時三〇分ころに準備を完了して五時三〇分ないし六時ころ作業に取りかかり、一八時か一九時に完了することになるが、五月初旬ころはまだ本格的に天候がよくなる時期ではないから一日中海が凪るということはほとんどなく、前記のとおり一日二航海が普通であり、原告らは、右作業時間の間に朝食、昼食のほか適宜休憩時間をとっていたこと、原告は、第一興生丸に乗船中は工事の工程の関係で一週間から一〇日間の単位で青森県西津軽郡鰺ケ沢町所在の鰺ケ沢港や秋田県能代市所在の能代港、秋田市所在の土崎港に行き、本件工事と同様の作業に従事することもあったこと、そして、右各港への移動は同船がいわゆる自航式起重機船という工事用の船舶であるため、夜間狭いところを航行するのに適していないことから夜間移動することは少なかったうえ、原告は同船に乗船して移動することもあったが、元請け会社の職員や興生建設の職員の自動車に同乗して移動することもあったこと、また、第一興生丸の乗組員は、船長、機関長、炊事係各一名、操舵手二名及び原告の計六人であり、原告は現場主任でその中心的な存在ではあったが、作業の進捗、作業結果等について特に責任を負う立場ではなかったこと、また原告が本件疾病の発作を起こす前一週間の就労状況は、

(ア) 昭和五二年五月五日

作業時間は七時から一八時三〇分までで、その間各一五分間の食事時間二回(朝食と昼食、以下同じ)、午前と午後に各一五分間の休憩時間をとった。作業内容は第一興生丸に乗船して、テトラポッドの据付け指示及び玉掛け作業が主たるもので、作業終了後は一九時三〇分ころまで翌日の作業の打合わせをした。

(イ) 同月六日

作業時間は六時から一八時までで、その間二五分及び二〇分間の食事時間、午後に四〇分間の休憩時間をとった。作業内容は、右船舶に乗船して前日と同様テトラポッドの据付け指示及び玉掛け作業が主たるもので、作業終了後は一九時ころまで施工のための協議をした。

(ウ) 同月七日

悪天候のため、海上での作業は中止となり、八時から一七時まで船内の主機関及び搭載クレーンの整備等の船内作業を行い、その間二〇分及び三〇分間の食事時間をとり、作業終了後は一九時二〇分ころまで施工のための協議をした。

(エ) 同月八日

この日も悪天候のため、海上での作業は中止となり、六時三〇分から一四時まで船内クレーンのワイヤー取替え作業を行い、その間一五分及び四〇分間の食事時間、午前に二〇分間の休憩時間をとり、作業終了後は一九時ころまで書類整理、施工のための協議等をした。

(オ) 同月九日

作業時間は六時から一七時までで、その間三〇分間の食事時間をとり、当日は第二五住栄丸が入港したため、同船舶に乗船し船長及び船員と作業の打合わせを行った後再び第一興生丸に乗船し、テトラポッドの据付けの指示及び玉掛け作業等の作業を行い、作業終了後は一九時ころまで事務及び施工のための協議をした。

(カ) 同月一〇日

作業時間は六時三〇分から一八時までで、その間一五分間の食事時間、午前と午後に各二〇分間の休憩時間をとった。作業内容は、第二五住栄丸に乗船して搭載クレーンですくいきれなかった玉石を除去する作業で、作業終了後は一時間程度施工のための協議をした。

(キ) 同月一一日

作業時間は六時から一八時までで、その間一五分及び二〇分間の食事時間、午前午後合わせて一時間二〇分の休憩時間をとった。作業内容は前日と同様の作業で作業終了後は約一時間に亘り事務処理をした。

(ク) 同月一二日

六時に前日同様の作業を開始し、朝食を七時三〇分から二〇分間とり、一〇時ころ甲板上の土砂をスコップ等を用いて清掃作業中、本件疾病を発症した。

以上のとおりであることが認められ、(証拠略)のうち、右認定に反する部分はいずれも措信しない。

なお原告は本件疾病は原告が約四〇キログラムの玉石を抱きかかえて海中に投じた際に発症した旨主張し、(証拠略)、中には右主張に副う部分が存するが、右部分は前掲(証拠略)と対比して到底措信しがたく採用の限りではない。

(3) 原告の健康状態

(証拠略)によれば、原告は昭和五二年四月初めころから歩行時や作業時に胸痛や胸部の圧迫感ないし不快感を覚えたほかには自覚症状はなかったこと、また、原告は本件疾病による発作を起こすまで、たばこは一日三〇本、酒は日本酒を一日二ないし三合飲んでいたことが認められる。(証拠略)及び原告本人尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する部分は措信しない。

(四)  しかして、右認定の事実によれば、原告の本件疾病発生前一週間の就労状況は、作業終了後の事務処理、打合せ等に要した時間を除いても平均拘束時間が約一〇・六時間、平均実働時間が九・五時間で通常の労働時間よりかなり長く、これに右事務処理等に要した時間の存在を併せ考えると、原告が従事した労働時間は比較的長いものであったといえなくもない。

しかしながら、他方前記認定事実によれば、原告は本件工事の現場主任の地位にあったもののその職務は主として元請企業との連絡及びこれに付随する事務とテトラポッド据付け作業の指示、甲板の清掃等であり、しかも工事の進捗等についての責任者は船舶部長である山本則幸であり、原告は特に責任を負う立場にはなかったのであり、(証拠略)によると、原告は以前にも興生建設において同様の仕事に従事していて作業についてはかなりの経験を有していたことが認められるから、原告の本件作業現場における職務は、その地位、職務内容、作業の種類等に照らし、肉体的にも精神的にもそれほど過重な負担を強いる種類のものであったと認めることはできない。

のみならず、前記認定事実殊に昭和五二年三月及び四月当時における第一興生丸の稼働率が平均三〇パーセント程度でかなり低く、一日の平均航海数が二ないし三航海程度であることに照らすと、東北地方における早春の気象条件が相当厳しいものであることを考えても、右時期における原告の労働がそれほど過重であったということはできない。さらにまた同年五月当時における第一興生丸及び第二五住栄丸の稼働率が平均四〇パーセントであり、一日の平均航海数が二ないし三航海である事実に、原告らは食事、休憩時間を適当にとっており、かつその業務内容からみて航海中の待機時間が相当存したであろうことを併せ考えると、五月初旬から本件疾病発症時までの原告の実質的な労働時間は前記平均拘束時間及び平均実働時間よりかなり下回るものと推認されるから、原告が通常の業務に比較し特に過重な労働に従事していたとはいえない。

そうだとすると、原告は昭和五二年三月以降本件疾病に至るまで業務上明らかに過重な精神的肉体的負荷を受けていたということはできず、したがってまたこれが他の要因及び病状の自然的進行以上に原告の基礎疾患たる冠状動脈硬化症を著しく進行増悪させその結果本件疾病を出現させたものということはできない。却って、前記認定事実、殊に原告の冠状動脈硬化症は、以上検討してきた原告の業務に基づく負荷以外の事由により、本件疾病発症以前から既に相当進行増悪し、軽度の労作によっても狭心症を発症する程度にまで至っていた事実に鑑みると、本件疾病も右基礎疾患に原告が本件疾病当時従事していた清掃作業が誘因となって発症したにすぎないものと認めるのが相当である。

したがって、原告の前記職務遂行が本件疾病に対して相対的に有力な原因となっていたと認めることは到底できないから、本件疾病と職務との間に相当因果関係は存在せず、本件疾病に職務起因性は認められない。

4  したがって、本件疾病ひいては本件障害が職務上の事由によるものとは認められないとして、職務外の事由による障害年金を支給するとした本件処分は適法なものということができる。

三  よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福井厚士 裁判官 川添利賢 裁判官 酒井正史)

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